ELM第7章は、特に子どもを持つお母さんから「子どもといるのがラクになった」「わがままを言う子どものことをかわいく感じた」と大好評の章です。
どんなにわがままを言っても、どんなに困ったことをしても、小さな子どもにとって世界の中心はお母さんとお父さん。
「ママ、ぼくにかまって」「ママ、わたしのことを見て」がその目的のすべてなのです。
スケート教室のこまったちゃん
私は時々スケート教室で、子どもたちにスケートを教えています。
スケート靴の履き方から説明して、氷の上に立ち、足を八の字のかたちにして歩くところから始めて……
とスムーズに進めばいいのですが、時々いるんですよね、言うことをきかないやんちゃっ子。
わざと転ぶ、氷上でスライディングする、座ったまま立ち上がらない、氷を削ってボールを作り始める……
まわりのお友達も巻き込んでしまったり……
そういう子どもがいると、やっぱり困るんですよね。
どうすればいいんでしょうか?
原因論と目的論
人の行動について考えるには、原因論的なアプローチと、目的論的なアプローチがあります。
スケート教室でやんちゃをする子どもの行動を原因論的に見ると、
「性格がわがままだからだ」
「親が甘やかして育てたのがいけないんだ」
ということになります。
あるいは、
「講師の教え方が悪くてわからないからだ」!?
しかし、目的論的に見ると、ここでの子どもの思いはおそらく
「自分のことをかまってほしい。自分を見てほしい」
となります。
みんなと一緒に言われたことをしているだけだと、one of themになってスルーされてしまうから、スケートが上手にならなくてもいい、怒られてもいいから注目を集めたいのです。
ちょっとかわいいというか、なかなかいじらしいですよね。
「スケートができるようになった、楽しい」よりも、
「ぼくのことを見て」「わたしのことを見て」という気持ちのほうがずっと強い。
そういうやんちゃっ子ちゃんは、人懐っこい子が多いな〜というのが私の印象です。
スケートを習うことではなく、先生の気を引いて遊びたいという気持ちのほうがその子にとってずっとずっと強いんですよね。
ただ、ここは「スケート教室」という場なので、子どもの「自分だけを見て、遊んでほしい」と、私の「みんなでスケートの練習をしなければならない」という目的がバッティングしてしまって悩みます。
そんなときには「困った行動には注目しない」で対処
「建設的」な目的とは?
アドラー心理学では、すべての行動には建設的な目的があると考えます。
「建設的」と聞くと、前向きでポジテイブなことであるような印象を受けますが、これは、一般的な「前向き」「ポジティブ」ではなく、「本人にとってメリットがある」という意味で使われています。
たとえば、好きな人に振り向いてもらうためにダイエットしているのに、仕事が終わってついお菓子を食べてしまった、という場合。
原因論的に見ると「意思が弱いから」となります。
しかし、その「建設的な目的」を考えると、
「お菓子のおいしさを味わいたかった」
「お菓子を食べることで、今日一日のストレスをゆるめたかった」
そしてもっと掘り下げていくと、
「ダイエットして恋愛がうまくいかなければ『自分に魅力がなかった』ということに直面しなければならない。でも、ダイエットしないままでいれば『やせれば恋愛がうまくいくかも』という可能性を残しておける」
ということがあるかもしれません。
ELM第7章は「目的を意識する」
ELM第7章では、「目的」という観点から人の行動について見ていきます。
子どものわがままや困った行動にも、子ども自身も意識していない、何かしらの「建設的な目的」があります。
子どもが感情的にぎゃーとなっているときに、親も感情的に「ダメーーー」と押さえ込むだけだと、両方とも疲れるだけで終わってしまいます。
でも、子どもが感情的に意固地になっているときに、この子がほんとうに今ほしいものは何なんだろう、と考えると、親の側がちょっとだけ冷静になれます。
そして、子どもに、ちゃんとそこに気づいてるよ、と伝えて、100%は無理としてもそこを満たすように対応すれば、少しずつでも変わってくるはずです。
でもイライラして怒っちゃうけどね
それはしかたないよ。にんげんだもの
「建設的な目的」は、一般的ではないので、探し方にちょっとコツがあります。
子どもの困った行動、どうしても直らない自分のクセについて、その「建設的な目的」は何なのか考えてみませんか?