アドラー心理学で大事な考え方のひとつに「課題の分離」があります。
「課題」を「分離」するって、英語の直訳調で日本語としてはこなれていなくて、イメージが湧きにくいのですが、中身を理解するととても使えるツールです。
ここでは、今日からすぐ使える「課題の分離」についてご紹介します。
「課題の分離」とは
「課題の分離」とは、シンプルに言えば、自分の問題と他の人の問題を分けて考えましょうということです。
具体的に言うと、何か問題が起こったときに、次のようなプロセスで問題を整理して、対処法を考えていきます。
・自分の課題が改善するように努力する
・相手の課題に土足で踏み込むのはやめる
これ、慣れるととても使えるツールです。
日々発生する困ったことによるストレスが激減します。
そして、気づくと「困ったこと」そのものがなくなっていたりするのです。
「課題の分離」の実例
ここで、実際の例に即して「課題の分離」について考えてみましょう。
いつまでたってもテレビやゲームでダラダラして、子どもが宿題をしなかったとします。
こんなとき、親は、普通だったら注意しますよね。
「宿題はやったの?」
「そんなことしてるとお風呂も寝るのも遅くなっちゃうよ」
それでも、子どもが宿題をしなかったら怒りますよね。
「宿題しなさい〜」
「宿題しないとどうなるかわかってるの!? どうなってもママは知らないよ」
とってもありがちな光景ですが、これは「課題の分離」ができていない状態です。
→子どもがやるべき、子どもの課題です。
「宿題をしなかった」として、その結果を引き受けるのは誰でしょうか?
→先生に注意されて、学力がつかなくて困るのは子ども。
宿題は子どもの課題なので、親がそれに踏み込んで指図するのは「課題の分離」ができていない状態なのです。
そして、「宿題をしていない子どもを見るとイライラする」というのが親の課題になります。
親が本当に関われるのは、
「なぜ自分は宿題をしていない子どものことを問題だと思うのだろう」
「なぜ自分は宿題をしていない子どもに対してイライラするのだろう」
というポイントについてのみです。
自分が本当に対処できるのは自分の課題だけ
このように、他の人に問題があるように見える場合でも、実は問題は自分の側にあるのです。
子どもが宿題をしないときの親の気持ちとして、いくつか考えてみました。
宿題をしていかないと、先生に怒られるのでは。
→怒られるのは子どもで、親ではないですよね。宿題をしないことの結果を本人が引き受けるのは当然のことです。
子どもの勉強が遅れるのが心配。子どもが甘えた性格になって、人生を舐めてしまうのではないか。そんなことでは将来が心配。
→今日の宿題に取りかかっていないだけなのに、ずいぶん問題を大きくしてしまっています。不必要に問題を大きくしているのでは。
子どもが宿題をしていかないと、先生から「あそこの親はダメな親」と思われそう。
→先生はそう思うかもしれませんが、そう思わないかもしれません。先生がどう思うかは先生の領域=先生の課題なので、ここで考えてもしかたのないことです。
たいていは、先生のほうではそこまで思っていないものです。
仮に「ダメな親」と評価する先生がいたとしても、そんなふうに短絡的に物事を捉える人にはよく思われなくてもいいんじゃないでしょうか。
子どもが言うことをきかないと、親である自分が舐められているように感じてカチンとくる。
→このような考え方の前提には、「子供は親の言うことを聞くべきだ」という固定観念があります。これは「上下の関係」です。上下の関係を前提にしていると、子どもが親の言うことに従わない=反抗、と見えてしまいます。
しかし、親と子といえども同じ一人の人間であるという「横の関係」でいると見え方が違ってきます。
子どもが言うことをきかなかったとしても、「この子は今は宿題をやらないという選択をしているんだな」ととらえれば、よけいにイラッとくることがありません。
フラットな関係でいるほうが、コミュニケーションはスムーズです。
また、「子どもに舐められたくない」という心の裏には、「自分なんてつまらない人間だ」というコンプレックスが隠れているのかもしれません。
その場合は、まずそのコンプレックスを癒してあげることが大切になってきます。
こんなふうに、課題を切り分けて、自分のココロを見つめていくと、自分の受け止め方にあるクセが見えてきます。
そのクセに気づくだけでも心が落ち着くんでしすよね。
そして、もしそのクセが不便なものなら、子どもよりもまずそちらのほうをていねいにケアしてあげましょう。
他の人の課題はどうすればいいの?
でも、この場合は、他の人といっても我が子です。
「いや、そこで子どもを放置していていいの?」と思うのは当然ですよね。
どういうふうに関わればいいのでしょうか?
基本としては、本人に任せるということになります。
仮に宿題をしていかなくて先生に怒られたとしても、それは自分が蒔いた種です。それがイヤならば、次からは宿題をするようになるでしょう。
ただ、本人に任せるといっても、切り離して無関心でいろ、ということではありません。
手は出さないけれども、この子には問題を自分で解決する力があると信じながら見守ります。
そして、本人が困っているようなら「大丈夫?」「ママに手伝えることある?」「ママにはちょっと考えてることがあるんだけど、言ってもいいかな?」などと横の立場から伝えてみましょう。
私自身、「課題の分離」という考え方を知ってから、子どもに対してイライラすることが格段に減りました。
勉強していなくても、夜更かししても、友達とトラブルがあっても、「この子にはちゃんとチカラがある。自分でなんとかするだろう」と思っているとあまり気にならない。
とりあえず放置していても、自分が罪悪感を感じることがない。
でも、「勉強は?」とか「早く寝なさい」とか言っちゃうこともありますけどね〜
そんなときも「あ、私、今日ちょっとイライラしてるな〜」とか、「まぁ、こんなふうに言っちゃうこともあるよね、にんげんだもの、それもOK」というように、自分の気持ちのほうをモニターできるようになりました。
「課題の分離」の枠を使ってみよう
ここまで、ある意味シンプルな子どもの宿題の例をあげて説明しましたが、この「課題の分離」のスキルはいろいろなところで使えます。
「課題の分離」の枠にあてはめるようにすると使いやすいかもしれません。
何か問題が起こったときは、次の枠を使って考えてみてください。
2 自分の課題に対して何ができるかを考える
3 相手の課題については原則手を出さない。必要があれば、相手の領域に踏みこんでいることを踏まえながら対応する
実際にやってみると、1をやっただけでかなりすっきりします。
問題を整理してみると、2の自分ができることってあんがい少なかったりします。
結局、自分ではどうにもならない3がオバケのようになっちゃうから、問題が大きく感じられるんですよね。
そんなオバケは手放しちゃいましょう。
職場で、家庭で、イライラすることがあったら、ぜひ試してみてください。
本当に使えるツール、それが「課題の分離」
慣れないうちは難しいかもしれませんが、なにごとも練習です。
「何度言ったらわかるの!」「どうしてあの人はいつもこうなんだろう」というような「いつものパターン」がある人は、まずは落ち着いているときに課題を分けてみるといいかもしれません。
「課題の分離」は、うまく使えば人生を変える力のあるツールだと思っています。オススメです。