「勉強しなさい」と言わないで子どもに勉強させるにはどうすればいい? 

テレビのクイズ番組で最近人気なのが東大生。彼らは「親から『勉強しなさい』と言われたことがない」と言います。

かくいう私も高校生の娘に「勉強しなさい」とは言わないようにしています。

高校受験のときも「勉強しなさい」とは言わないでいましたが、娘は無事志望校に合格しました。

 

でも、子どもが勉強していないと気になるし、ずっと放っておくわけにもいきませんよね。

ここでは、私が「勉強しなさい」と言わない理由、そして、「勉強しなさい」と言わずに子どもにどのように勉強させているかについてお話しします。

何かのヒントにしてもらえればうれしく思います。

私が「勉強しなさい」と言わない理由

私が「勉強しなさい」と言わない理由、それは「勉強しなさい」と言っても子どもが勉強しないのがわかるから。

「勉強しなさい」と声をかけられた子どもはどう思うでしょう?

「勉強しなくちゃいけないのを忘れてた! 気にかけてくれてありがとう」と思うでしょうか?

「今しようと思ってたのに〜 あーあ、勉強する気なくなった〜」と言われるのがオチですよね。

自分が子どもだったころのことを思い出してもそうだもの。

「勉強しなさい」は子どもの気分を害し、モチベーションを下げ、おまけに親の真意は伝わらない、とてもコスパの悪い言葉だと思っています。

「勉強しなさい」と言わないでどう勉強させるか

そうは言っても、勉強しないでダラダラしている子どもを見ていると気になるし、放っておくわけにもいかないですよね。

では、「勉強しなさい」と言わないでどう勉強させればいいのでしょうか?

対立するサイドに立つのではなく、同じサイドに立つ

まず大前提として、声をかける前に子どもと同じサイドに立ちましょう。

 

「勉強しなさい」と声をかけるとき、親は子どもより上の立場に立っています。

上→下の関係で、指示をしているんですね。

あるいは対立するサイドと言っていいかもしれません。

子どもの利害と親の利害が対立する感じです。

この関係だと、親が「勉強しなさい」と言うことによって、子どもの自由が侵害される感じになってしまいます。

 

しかし、親が子どもに声をかけるのは、子どものことを思ってのことですよね。

子どもの未来を思えばこそです。

そして子どもだって自分の力を伸ばしていきたいと思っています。

そう、親と子が立っているのは、同じ方向を向いた、横の立ち位置なのです。

だから、親である自分は、未熟な子どもを指導するという立場ではなく、子どもの未来を応援する立場にいるのだということをまず自分の中で確認しておきましょう。

声をかけるときは、子どものできていないところを指摘するのではなく、難しいことに取り組んでいる子どもをフォローするという方向性でいることを忘れないでください。

課題の内容を具体的に確認する

宿題があるはずなのに子どもがダラダラしている。

そんな姿が目に入ったときは、つい反射的に「勉強しなさい」と言ってしまいがち。

でも、一呼吸置いて、まず「宿題は何があるの?」と確認しましょう。

子どもが抱えている課題の内容を知ることで、ママ自身がやみくもにイライラすることから解放されます。

 

もし宿題の量が多くないようならば「それくらいならすぐに終わりそうだね」と、終わってスッキリしている姿をイメージさせます。

子どもは宿題に取りかかりやすくなるかもしれません。

 

宿題の量が多いようなら「そんなにたくさん出ているんだ! 大変だね」とまずは子どもの抱えている大変さに共感

「じゃあどこから始める?」

「とりあえずはここはやっておかないとマズいっぽいよね。それ以外は流してやっても大丈夫だよ」

「ママに手助けしてほしいことがあったら言ってね」

このように、課題の状態を一緒に整理して、子どもが面倒だなと思いながらも課題に取りかかることをそっと後押し。

ここでどこまで親が手を出すかは、子どもの学年や性格によって変わってくると思います。

あくまでも最終的にやるのは子ども本人であることを忘れずに。

子どもが勉強しているときに「やってるね」と声をかける

親がやってしまいがちなのは、子どもが勉強しているときには当たり前だと思ってスルーし、勉強していないときにだけ「勉強しなさい」と声をかけること。

でも、これは逆なのです。

勉強しているのを見たら、すかさず「勉強してるね」「よくやってるね」と声をかけましょう。

そして、勉強していない、ゲームばかりしている、などというときはあえてスルー。

 

人は、注目された面が大きくなるという傾向があります。

「この子はだらしなくて」「勉強ができなくて」と言われ続けると、子どもは自分はだらしなくて勉強が苦手なんだという自己イメージを持つようになります。

逆に「いつもよくやってるね」「○○ちゃんはここぞというときにはキメるよね」と言うと、自分にはチカラがあるのだと思うようになります。

子どもの行動の結果を自分で引き受けさせる

アドラー心理学には「課題の分離」という考え方があります。

 

子どもが勉強をしなくて本当に困るのは誰でしょうか?

………子ども自身ですよね。

 

宿題をしていない→先生に怒られる

勉強をしていない→志望校に不合格

 

このように、勉強をしない結果を子ども自身が引き受けなくてはならないのは自然なことです。

 

子どもが勉強しないからといって、親が明日の授業で困るわけではないし、親の仕事がうまくいかなくなる、給料が下がる、なんてこともありませんよね。

 

いや、母親である自分も困るのよ、と思いますか?

 

では、なぜ困るのでしょうか?

 

子どもが学校で怒られたらかわいそうだから。

子どもの将来が心配だから。

子どもの勉強ができないと親がしっかりしていないと思われそうだから。

 

あれ?

ここで出てきた「かわいそう」「心配」「しっかりしていないと思われそう」というのはすべて母親自身の内面の問題ですよね。

勉強をしていない我が子を見て不安になり、その不安を子どもに勉強させることによって解消しようとしているんです。

 

でも、その不安は実は子どもに対する不安ではなく、自分が持っている不安を子どもに投影しているパターンがよくあります。

ここは掘り下げると子どもから離れた話になるので、また別に取り上げますね。

 

「課題の分離」とは、子どもの課題は子どもが引き受け、親の課題は親が引き受けましょう、ということです。

子どもが勉強しない結果は子ども自身が引き受けなければなりません。

そうすることによって、子ども自身が、何がいけなかったのか、次はどうすればいいのかを考えることにつながります。

親は、子どもには自分で解決し、成長する力があると信じて、ただそばで見ているだけでいいのです。

そして、子供をダシにせず、親自身の課題に取り組みましょう。

子どもに「勉強しろ」と言うよりも親が自分のことを頑張るほうが大事

子どもに勉強させたい、努力させたいと思ったら、ぶっちゃけ、子どもに口うるさく言うよりも、親自身が自分のことを頑張るほうが効き目があります。

 

え、私にはとくに頑張っていることなんかない?

 

そんなことはありません!

 

毎日家事や子育てを投げ出さずにしていること。

毎日仕事をがんばっていること。

 

そんな自分が毎日当たり前だと思ってしていることを、まずは自分で認めて、肯定して、褒めてあげてください。

 

いや、時間に追われて家事や子育てはいいかげんだし、パートでたいした仕事はしていないし……

 

そんなことはありません!

 

お母さんがいるから家はきちんと回っているのだし、社会が価値を認めているから仕事に対してお金が払われているのです。

 

もし、親が「自分なんてたいしたことない」「自分の仕事なんてつまらない」と思っていると、子どもも「自分はつまらない人間」「勉強なんかしたってしかたない」と思ってしまうかもしれません。

 

まずは親が自分自身の毎日のがんばりを認めること。

 

そして、もし「やりたいな」と思っていることがあればそれにトライしてみましょう。

ヨガでも、スポーツジムでも、趣味でも、英会話でもなんでもOK。

興味のあることについて本を読むのもオススメです。

親が頑張っている姿はどんな言葉よりも子どもに効きますよ。

 

完璧を求めない

もちろん、にんげんだもの、そんなにスムーズなものではないし、いつもいつもうまくいくわけではありません。

私も子どもについキレてしまうことがあります(汗)

それもOK。人生勉強。にんげんのありのままの姿を子どもに見せてあげたのです(笑)

 

娘は、「自分は親に『勉強しろ』と言われたことがない」と思っています。

そして、親に「勉強しろ」と言われない東大生と自分とを重ねて、ちょっといい気分になっているようです。

こんなことで自己肯定感が上がるのならばお安いものですよね。

「勉強しなさい」というコスパの悪い言葉をやめて、ただ側に立って応援する。

もしよければ一度試してみてください。

 

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