【アドラー心理学】自分も相手も傷つけないコミュニケーションについて考える

伝えにくいことを伝えるとき、どんなふうに言葉を選べばいいの?

コミュニケーションに上手なやり方ってあるのかな?

今回は、相手に自分の要求を伝えるやり方について考えてみました。

コミュニケーションにおける4つのパターン

アドラー心理学では、人に対するコミュニケーションのあり方を4つに分類します。

主張的  相手もOK、自分もOK

非主張的 相手はOKだけど自分はnot OK

攻撃的  相手はnot OK、自分がOK

復讐的  相手も自分もnot OK

 

具体的なシチュエーションの中で考えてみましょう。

 

レストランでA定食を注文したのにB定食がきました。あなたは「交換してください」と言えますか?

 

この場合、教科書的に答えると、以下のような感じになるでしょうか。

 

主張的:自分が注文したA定食と交換してほしいことを落ち着いて伝え、交換してもらう

非主張的:間違っていることを伝えられず、がまんしてB定食を食べる

攻撃的:A定食とB定食を間違えた店員を感情的に責めて交換させる

復讐的:A定食とB定食を間違えた店員を感情的に責めて交換させるが、そのお店に行きづらくなり、一緒に行った友達にもあきれられて距離を取られる

 

選択肢とその裏にある感情イロイロ

 

実際にこのシチュエーションになったときにはどう対応するかなと考えると、いろいろな選択肢と、何層にもなった感情があることが浮かんできました。

 

まず、どんな対応があるか、考えてみました。

 

1 「注文が間違っている」ことを伝え、「取り替えてください」と言う。

2 「注文が間違っている」ことは伝えるが、料理はそのまま食べる。

3 「料理が間違っている」ことは伝えず、料理をそのまま食べる。

 

ざっと考えて、この3つでしょうか。

 

では、そのときの気持ちはどうでしょうか?

 

・「注文を間違えるなんてけしからん」と怒る

・「自分のことをバカにされている」と怒る

・「間違えることもあるよね」と気にしない

・「こちらの注文のしかたが悪かったのではないか」と反省する

・「どうせ私のやることはうまくいかない」と悲観する

 

もし、店員に伝える場合、どのような言い方になるでしょうか?

 

・店員側の落ち度なのだからと高圧的な言い方をする

・事実を淡々と伝える

・「すみません…」とへりくだって伝える

 

取り替えてもらうかどうかはどこで判断するでしょうか?

 

・自分が注文したのはA定食なのだから当然のこととして取り替えてもらう

・B定食は苦手なメニューなのでA定食に取り替えてもらう

・B定食もそんなに嫌なメニューではないのでB定食を食べる

・急いでいるのでB定食を食べる

・B定食はA定食に比べて高いので取り替えてもらう

・バイトの女の子だったら「取り替えて」と言うけれど、ちょっといかつい店主のオヤジだったら言わずに食べる

 

ざっと考えただけで、これだけのパターンが浮かんできました。

もちろんこれ以外にもいろいろパターンがあるでしょう。

実際の場面では、これを、瞬時のうちに判断して対応しているわけですよね、ふぅ〜

自分だったらどうする?

 

自分だったらどうするだろう、と考えると、もしかしたら他のテーブルと間違えているかもしれないので、「A定食を頼んだんですけど…」と伝え、あとはメニューしだいでしょうか。

B定食がイヤでなければB定食をそのまま食べるし、A定食がすごく食べたかったのであれば交換をお願いするかな。

「こちらの注文のしかたがわかりにくかったかもしれないです…」くらいは申し添えるかも。

 

私の友達に飲食業界で長く働き、高級なお店のフロアトップまで行った人がいます。

彼女はお店のスタッフさんに対する姿勢が厳しめです。

お客として行っても、何か気になることがあると「これも教育だから」とピシッと伝えています。

べつにB定食を食べることがイヤなわけではないけれど、二度とこんなミスをしないようにという意味もこめて、きちんと交換を要求するということもありですよね。

 

言葉の奥にある自分のココロ

 

こうして考えていくと、ものの言い方は単に言葉の選び方ではないんですよね。

大事なのは自分の価値観であり、もっとつきつめていくと、自分が自分をどう思っているかにたどり着きます。

 

もし、自分に自信がない状態でいると、単にメニューを間違われただけでも、自分の要求を伝えることができず、

「ほんとうはA定食が食べたかったのに…」

「ここのお店ってほんとサイテー!」

「私はいつも運が悪い。そういえばあのときも…(以下悪い思い出がループ)」

「もしかして店員は私のことをバカにしているんじゃないか…」

と、イヤな気持ちのなかでぐるぐるしてしまいます。

「メニューを間違われた」という事実が、自分の内側に向かって、なぜか人格の否定にまで及んでしまうのです。

 

逆に、メニューを間違われただけで逆上して「店長を出せ」なんて外部に対して攻撃的になるのも、ココロの奥底に、自分に自信がない、自分をバカにされたという「自分はnot OK」の思いがあるのかもしれません。

 

黙ってそのままB定食を食べたとしても、自分に自信があり、「必要があれば交換を要求できるけれど、自分の判断で要求しないだけだ」と思っていると、「メニューを間違われた」という事実と自分の感情を切り離して考えることができます。

「毎日ごはんを食べているとこんなこともあるよね」

「ここでスマートな対応ができている私ってオトナ♡」

と、自分アゲの材料にしてしまうこともできるのです。

これは、行動としては自分を抑えているけれど、内容は「相手もOK、自分もOK」になりますね。

 

視点を遠くに置く

定食の交換を要求するかどうかを判断する基準として、未来から考えるというやり方もあります。

よく通っているお店やまた来たいと思っているお店であれば、この先気まずくならないようにそのままB定食を食べる。

もう来ることがないお店であれば交換をお願いする。

A定食を頼んでもB定食を頼んでも1年後には忘れていると思えばそのまま食べてしまう。

でも「自分の要求を大切にする訓練をしているんだ」と思えば、ここでガマンせずに交換を要求するのは大きな学びにもなりますね。

 

いちばんのキモは自分が自分を大切にすること

たったこれだけのことでも、改めて考えてみると、行動面でいくつかの選択肢があり、その背後にはさまざまな気持ちがあることがわかります。

 

正直、どの選択肢をとっても正解・不正解はないんだと思います。

ただ、便利か、不便かの違いがあるだけ。

選択肢がたくさんあるほうが便利かも〜くらいのものですね。

 

結局、いちばん大切なのは、自分が自分自身を大切にしているかどうか。

日々の生活の中ではアクシデントも不快なことも起こりますが、外で起こる「事実」と自分の「価値」とは無関係です。

自分が自分を大切にしていれば、どんな選択をしても自分のプラスになるように意味づけることができます。

また、いろいろな方面から「事実」を見ることができるようになると、選択肢が増えていきます。

 

自分の要求を伝えるときには、ものの言い方というスキルも大切ですが、スキルの土台となる自分自身のあり方がなにより大事です。

そのためにはまず自分に勇気づけ。

勇気づけを続けて自分を大切にできれば、起こった出来事に対して、たくさんの選択肢を考えて、その中から自分にとって便利なものを選ぶことができます。

生きるのがラクになりますよ。

 

 

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