自分の人生の主人公は自分です。
当たり前のことですよね。
だから、今、自分の目の前にある人生は、自分で選んできた結果です。
当たり前のことですが、では、目の前に広がっているのは、自分が望んでいる人生でしょうか?
「YES! わたしは今理想の人生をおくっています!」と言える人、少ないんじゃないでしょうか。
ELM第8章では、人生を停滞させる「can not 」「yes but 」と、人生を動かすための「can not → will not」「yes but → yes and」がキーワードになっています。
これは、私自身にとっても「アイタタタ……」の章です
can not → will not
「今の会社が合わないから辞めたい」「上司と合わないから辞めたい」そんな話を時々聞きます。
しかし、「辞めたい」と思ってすぐ辞められる人は多くありません。
たいていの人は、「会社を辞めたい」と思っても、
→でも、良い転職先がないから辞められない。
→でも、収入がなくなると困るから辞められない。
→でも、私がいなくなると他の人に迷惑をかけるから辞められない。
こんなふうに思って、明日も会社に出勤します。
しかし、これは本当に「can not」でしょうか?
借金のカタに売られてきた女工哀史の時代ならいざ知らず、今の日本では辞表を出せば済むことです。
でも、それをしないのは、自分が「(とりあえずしばらくは)仕事は辞めない」と決めているからですよね。
だったら、どことなく受身の「can not」ではなく、主体性を持った「will not」を使おうよ、というのがアドラー心理学からの提案です。
すべてはそこから始まります。
「私は仕事を辞めない」のが自分の意思だと認められれば、次の段階では自分の意思で「私は仕事を辞める」と決断できるかもしれません。
yes but → yes and
次は「yes but」のしくみです。
友達と旅行に行きたいな。
→でも、お金がないから行けない。
→でも、休みが取れないから行けない。
→でも、家族がいるから行けない。
これは、「〜したいな、でも〜」という「yes but」です。
しかし、これも「can not」と同様、「行けない」のではなく、実は自分で「行かない」と決めているんですよね。
だから、もし本当に行きたいのであれば、「旅行に行きたいな。お金も休みもないけれど、どうしたら行けるだろう」と「yes and」の前向きな方向で考えることもできるのです。
変わりたいのに変われないのはなぜ?
「変わりたいのに変われない」と思うのは、ある意味当然のこと。
人間には、ホメオスタシスという機能が備わっています。
一言で言うと「これまでと同じことをこれからもやる」。
ずっと昔、ヒトがサバンナで生きていた時代、むやみに「変える」ことは命の危険に直結しました。
ここの草原で獲物が獲れるのなら、わざわざあの山まで行く必要はなかったのです。もしかしたらそこには得体の知れない猛獣がひそんでいるかもしれないから。
この感覚は、現代の街で暮らす私たちの中にも脈々と受け継がれています。
どんなにひどい職場であれ、旅行にも行けない変わりばえのない毎日であれ、今日までうまくこれで生き延びることができたのなら、わざわざそれを変える必要はないのです。だって、変えたらもっと悪くなるかもしれないのだから。
でも、今、私たちはサバンナで生きているわけではありません。
手を伸ばせば、そこにはたくさんの可能性があるんですよね。
ELM第8章は「自分の人生を引き受ける」
ELM第8章は、なかなか厳しい章です。
アドラー心理学は優しいだけではありません。
今の人生の状況を作っているのは、ほかでもない自分自身。
「can not 」「yes but」と言っているのは自分だよね、と突きつけてきます。
あ〜、書いていて自分が「アイタタタタ……」です。
自分を振り返ってみると、「できない…」「やりたいけど、でも…」の連続。
でも、それは、イコールこれからの人生も自分で作っていけるということ。
「自分の人生を引き受ける」第一歩は、「can not 」を「will not」に変えて自分を認める。
そして、「yes but 」を「yes and」に変えることで自分の人生を少しずつでも変えていく。
まずは自分の中にある「can not 」「yes but 」を見つめるところから始めてみませんか?