幸せな家族を描くというチャレンジ☆瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』

瀬尾まいこさんの『そして、バトンは渡された』は、2019年の本屋大賞受賞作。

 

幼い頃に母親を亡くし、父とも海外赴任を機に別れ、継母を選んだ優子。

その後も大人の都合に振り回され、高校生の今は二十歳しか離れていない“父”と暮らす。

血の繋がらない親の間をリレーされながらも、出逢う家族皆に愛情をいっぱい注がれてきた彼女自身が伴侶を持つとき――。

大絶賛の2019年本屋大賞受賞作。

 

これが文庫本の背表紙の作品紹介。

これ、ほぼネタバレです。

普通、血のつながりのない親の間をリレーされ、名字が4回も変わったという設定ならば、その過酷な運命の中での義理の親と子のぶつかり合い、主人公の心の苦しみなんかが描かれ、それがどこに行き着くのか……がキモとなると思うのですが、「愛情いっぱいに育てられて、大人になった」というストーリーをここでバラしちゃってます。

愛情いっぱいの親子関係を描くというチャレンジ

小説、特に純文学の世界では、親子関係をテーマとするときには、親子の葛藤やドロドロした関係を扱うのが定番です。

今は「毒親」というワードも生まれ、ホットなテーマとなっています。

たとえばこちら。

 

それをあえて作品紹介で「愛情をいっぱい注がれてきた」と書いているということは、『そして、バトンは渡された』は、ストーリーのドラマティックさではなく、ステップファミリーで愛情を注がれてまっすぐ育つことにどれだけリアリティを与えられるのかが主眼となっているのだろうと思いました。

 

親子の葛藤というのは義理の親子に限ったことではなく、実の親子でも普通のことで、近すぎる関係であるがゆえになかなかしんどいことです。

それを扱った作品はたくさんあり、力作、名作も多いのですが、親子関係のドロドロを描いたものは身につまされるぶん読むのに疲れる。

また、わざわざ本を読まなくても、今は毎日のようにテレビやネットから児童虐待のニュースが流れてきます。そこで多いパターンが、親の再婚相手や母親の交際相手から虐待を受けたというもの。

 

そんな中で、血のつながりがない親が、子どもを「たらい回し」にしながら、それでもひねくれさせずに育てる姿を描くのは、逆にチャレンジングだと言えます。

ネガティブな情報が氾濫する中で、「ハードな状況であっても、ドロドロせずに親子関係は描けるよ」と現れたこの小説は新鮮だった。

それが支持されたので本屋大賞を受賞したのではないでしょうか。

 

しかし、この作品に対するAmazonのレビューは、「感動した」と「薄っぺらい」、評価が真っ二つに分かれています。

作者のチャレンジは成功しているのでしょうか?

「不幸」な設定のなかでも「不幸」にならない展開

物語の冒頭、主人公である高校2年生の優子と担任の先生が面談をしている場面。

優子は心の中でこうつぶやきます。

「困った。全然不幸ではないのだ。少しでも厄介なことや困難を抱えていればいいのだけど、適当なものは見当たらない。」

冒頭のこの告白を裏切らないように物語は展開していきます。

文庫本の作品紹介にネタバレがあったことは書きましたが、物語の構成そのものも、「不幸ではない」高校生の現在の中に子ども時代の回想を挟むかたちで展開していくので、血のつながった親と離れ離れになった優子がどうなっていくのか、とハラハラする要素はありません。

実の父親:水戸、水戸が再婚→離婚する自由奔放な義母:梨花、その後梨花と結婚して優子の義理父となる二人の男性:泉ヶ原、森宮という優子の親となる登場人物の人となりと、優子を大切にする理由もそれぞれ丁寧に説明されます。

 

結婚と離婚を繰り返して優子の名字を変えていくことになる梨花の行動にもちゃんと理由があります。

「森宮君、優子ちゃんの親に向いてるって思ったの。泉ヶ原さんの家は贅沢すぎるし、しげちゃん年とってるから、病気になる可能性高いでしょう。森宮君なら若いし、私の後継者にピッタリだって。私、男を見る目はあるから」

また、そんなふうに大人に振り回されている優子が、それでもグレずに状況を受け入れていく心のあり方も丁寧に描かれています。

排除された「血のつながり」

この小説の中では、「血のつながり」は徹底して排除されています。

実母は病気で亡くなり、海外赴任から帰国した父親も手紙を書いただけで、本気で優子に会いにくることはありません。

 

幼いころ近所に住んでいた実の祖父母は、愛情はあるけれどあいさつや物を大切にすることに口うるさい存在として描かれます。梨花との再婚後は疎遠になり、高校生の今は「二人がどうしているかすら知らない」状態。

最後の場面の結婚式にも出席していないようです。

 

それとは対照的に、実父と離婚した梨花と優子が住んでいたアパートの大家さんであるおばあさんが、優子を支える存在として登場します。

父親と離れて寂しい優子の気持ちを慰め、経済的に苦しい生活に対しては野菜の差し入れ。そして、老人ホームに入ることになり優子と別れるときには「お守り代わりに」とお金を渡します。

実の娘の世話になるよりも施設に入ることを選んだ大家さんの言葉がこれ。

「親子だといらいらすることも、他人となら上手にやっていけたりするんだよね」

 

優子の友達も、血のつながった自分の親のことを愚痴り、優子の親のほうがいいと言います。

小学校時代の友達

「優ちゃんのお母さん、若くてきれいでいいな」「私も優ちゃんの家の子になりたい。いつも楽しそうなんだもん」

 

高校時代の友達

自分の父親に対して「うちの場合気持ち悪くて、父親と口すらきいてない」「うちも必要最小限しかしゃべらないな」

「優子はいいよね。森宮さん、清潔だし頑固じゃないし、ついでに若いし」「本当だよ。そうだ、一ヶ月だけでもうちの親と替えてくれない?」

 

この小説の中には、「そうは言っても血のつながりがないんでしょ」などと言う人は一人もいません。優子に遠慮しているわけでもない。優しい世界です。

 

チャレンジは成功したのか?

このように巧みに作られた物語ですが、ではこのチャレンジは成功したのでしょうか?

私などがあれこれ言わなくても、本屋大賞を取り、たくさんの人に「感動した」と受け入れられているので、その結果を見ると成功していると言えます。

 

私も、400ページありましたがすいすい読むことができ、何度か涙しました。

いいお話だと思うし、人にもオススメできます。

 

ではチャレンジが成功したのかと考えると……「でも」という言葉が出てくるんですよね。

 

冒頭の面接の場面、「自分は不幸ではないのだ」と思っている優子に向けられる先生の言葉。

「でも、どこか森宮さんには物足りなさを感じるのよね。腹を割っていないというか、一歩引いている部分があるというか」

 

私の感じているところもこれです。

とてもよく作られた物語で、優子に関しても、義父母たちに関しても、必要なことは説明されているので辻褄は合っています。

でも……頭で考えて作られたお話だな、という感は否めません。

 

顕在意識のみで作られた物語

人の行動を決定している要素は、自分で意識している健在意識によるものは実は少なくて、自分では意識していない潜在意識の部分が8割とも9割とも言われています。

頭ではわかっていても、できない。ダメだとわかっているのに、マイナスの行動をとってしまう。正しいことを言われているのに反発してしまう。

それは潜在意識のなしていることです。

 

子どもの成長には、子ども自身が意識していないところで愛情を注がれて満たされているかどうかが大きく影響します。

優子の友達が、あれだけ無邪気に自分の親への愚痴を言えるのは、裏を返せばそれだけ言っても親子関係は揺るがない、自分が今受け取っている愛情や経済状況は変わらないという無意識の部分での信頼があるからです。

 

優子はそんなふうに無邪気にはなれません。今受け取っている愛情、経済的な安心感、そういうものをひとつひとつ言葉にして確認していかざるを得ません。

優子も義理親たちも、顕在意識のみで物事を判断して行動しているように見えます。どうしてもその人がとらわれてしまう潜在意識の部分が見えてこないのです。

「そうは言っても」の部分を抑えている、というよりも、そういう部分がないように見えます。

 

この小説の登場人物たちは、100%顕在意識=潜在意識として造形されているように感じます。

 

そこが、この小説を読んでいて、心地よいのだけれどもの足りないと感じた部分です。

もし、優子が「たらい回し」にあってもグレていないのだとしたら、その時々での義理親の愛情は大切ですが、その前の、優子自身に記憶のない赤ちゃんから幼少期に両親から揺るぎない愛情を注がれて満たされていた、だからこそ人生のベースとなるまわりの人への信頼感があったはず。

そこの部分もきちんと描かないと説得力がないように思うのです。

義理の関係を上げるために、実親のかかわった部分を下げてしまった。そのために、物語のベースが薄くなってしまったように思います。

 

子どもを持つ喜びを言い当てた言葉

最後に、この小説を読んでよかったと思える言葉に出会ったので、ご紹介します。

 

「梨花が言ってた。優子ちゃんの母親になってから明日が2つになったって」

「自分の明日と、 自分よりたくさんの可能性と未来を含んだ明日が、やってくるんだって。親になるって、未来が二倍以上になることだよって。明日が二つにできるなんて、 すごいと思わない? 未来が倍になるなら絶対にしたいだろう」

「優子ちゃんと暮らし始めて、明日はちゃんと二つになったよ。自分のと、自分のよりずっと大事な明日が、 毎日やってくる。すごいよな」

 

「明日が二つになる」いい言葉です。

子どもの明日が親の明日になる、ではなくて、明日が二つになる、でも子どもの明日のほうがよりたくさんの可能性と未来を持っている。

親としての喜びを言い当てた言葉だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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