少女は7つの海を目ざす☆モアナと伝説の海

ここのところ絶好調のディズニー映画。

「アナと雪の女王」では、主人公アナをめぐって、隣国の王子ハンスと山男クリストフとの三角関係が描かれ、アナの危機を助けるためクリストフが駆けつけようとしたが、最終的にエルサを助け、国を救ったのは姉妹の愛情だった。

もはやお姫さまに王子は必要ではない。

「モアナと伝説の海」ではその構造はもっと進んだかたちとなっている。

モアナとコンビを組む半神半人の英雄マウイとの間にまったく恋愛感情は描かれない。

モアナ=ルーク・スカイウォーカーで、マウイ=ハン・ソロなのだ。

決してモアナ=レイア姫ではない。

逆に、マウイ自身が愛されなかった生い立ちから心に傷を持つキャラクターとして描かれる。

マウイが虚勢を張るたびに、マウイの身体に刻まれたタトゥーの中にあるミニ・マウイは心配そうな顔をする。

いいなあ、ミニ・マウイ。私にもほしい。

モアナは幼いころから海へ出たいという気持ちを抑えられないでいる。

しかし、両親は珊瑚礁に守られた今の島の暮らしで十分だと言う。

父親である王は、自分が若いころ外海へ出ようとして命の危機に遭った経験から、モアナの願いを禁止する。

それは、親の「愛」といえば「愛」だけれども、親の価値観で子どもを制限しているということでもある。

一度はそれを受け入れたモアナ。アナ雪でいう“Perfect Girl”でいようとしたのだ。それでも、まわりの期待に応え、慣れ親しんだ環境で愛する人々と暮らすことは十分「幸せ」であっただろう。

しかし、海で魚が捕れなくなり、モアナは外海へ出ていかざるを得なくなる。

一見逆境に見えることが実は変化のチャンスであり、現状維持は時に後退でもあったりするのが人生だったりするんだよなぁ。

祖母のタラは、そんなモアナの旅立ちを後押しし、海を渡って島にやってきた先祖について語る。

どうしても海に出たいという抑えても抑えきれないモアナの衝動は、遠い先祖から脈々と流れてきたものだったのだ。

アメリカ人と日本人はDNAレベルで違いがあると聞いたことがある。移民の子孫であるアメリカ人は、外へと向かう DNAを持つ人の割合が飛び抜けて高いということだった。

今、アメリカではトランプ政権が誕生し、メキシコとの間に壁を作ろうとしたり、移民を制限しようとするなど、内向きの姿勢が鮮明になっている。

このタイミングで「外へ出よう!」という映画が公開されるのは皮肉だろうか? いや、アメリカという国の懐の深さだろうか?

あぁ〜、私も海を超えてどこか旅に行きたい!!

そう思わせてくれる、とてもいい映画だった。

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